50歳で会社を辞める。
そう決めてから、少しずつ「その後」の暮らしについて考えるようになった。
どこに住もう。どんな家に住もう。
今までの私は、家を買うときも「仕事」が大きな条件だった。
1軒目のマンションも、2軒目のマンションも、その地域で仕事をする必要があったから選んだ。
だから、よく考えてみると、これまでの家は「ここに住みたい」と思って選んだ家ではなかったのかもしれない。
50歳で会社を辞めたら、初めて仕事という条件を外して、住む場所を選ぶことができる。
そう思ったら、急に気になってきた。
私は、どんな家に住みたいんだろう?
絶景は、たまに見られればいい
理想を言えば、北アルプスのような雄大な景色が見える場所に住めたら素敵だと思う。
でも、そういう景色は「非日常」として楽しむのでもいい。
毎日の暮らしなら、今と同じように空や街並みが見えるくらいでいい。
ただ、隣の家が近すぎたり、大きな道路がすぐそばにあったりするのは嫌だ。
静かであることは必要条件だ。
私は家の中を向いて暮らす時間が長いから、家の中で落ち着いて過ごせる環境があれば、それほど特別な景色は必要ないのかもしれない。
自然の近くで、目的なく歩きたい
家の近くには、海か山か川があったらいい。
「今日は歩こうかな」と思った日に、ふらっと歩きに行ける場所。
目的地なんてなくていい。
景色を眺めながら、ただ歩く。
そんな散歩ができたらいいなと思う。
温泉が近くにあるのもいい。
夜には虫の声しか聞こえない。
朝には鳥の鳴き声が聞こえる。
夜、車がほとんど走らなくなって、静けさで耳がキーンとするような場所。
そんなところで暮らしてみたい。
大きな道路や、人が集まるような賑やかな施設は、近くにないほうがいい。
便利さは、今ほど必要ないのかもしれない。
元気なうちは、多少不便でもいい。
パートナーが車を出してくれるし、電動自転車があれば駅まで行ける。
天気が悪ければ、出かけなければいい。
それくらいの自由さでいい。
「窓のあるお風呂」が欲しい
私が次の家に絶対に欲しいもののひとつが、窓のあるお風呂。
窓から何か特別な景色が見えなくてもいい。
外の明るさを感じられれば、それでいい。
私は、明るい時間にお風呂に入るのが好きだ。
昼間にお風呂に入る。
それは私にとって、「時間に追われていない生活」の象徴なのかもしれない。
昼間にお風呂に入って、のんびりする。
今やらなければならないことがない。
自分の好きなタイミングで、好きなことができる。
もし戸建てを建てるなら、お風呂から庭が見える家がいいなと思う。
でも、本当に欲しいのは、お風呂の窓そのものではなくて、
「昼間にお風呂に入ってもいい生活」
なのだと思う。
本を読む部屋ではなく、本を置く部屋
もうひとつ欲しいのが、本の部屋。
壁一面が本棚になっているような部屋に、たくさんの本を並べたい。
でも、そこでずっと本を読むわけではない。
本を読む場所は、そのときの気分で変えたい。
リビングでもいい。
窓辺でもいい。
縁側でもいい。
ベランダでもいい。
家の中に、いくつか「居心地のいい場所」があって、その日の気分で移動しながら過ごす。
そういう家がいい。
理想を言えば、縁側のある家
さらに妄想を膨らませると、理想の家には中庭が欲しい。
お風呂や縁側から、その中庭を眺められる。
土間があって、屋根のついた「半分外」のようなテラスがある。
そこで七輪を使って焼肉をしたりする。
縁側で火鉢を使って何かを炙りながら、晩酌する。
火遊びができる場所がある家。
たぶん私は、そういう家が好きなんだと思う。
なぜなら、そこには「効率」がないから。
炭火を使うより、キッチンのコンロやカセットコンロを使ったほうが、ずっと効率がいい。
火を起こす時間もいらない。
片付けも楽。
でも、あえて炭火を使う。
効率を求めない。
時間がかかることそのものを楽しむ。
それって、ものすごく贅沢な時間の使い方なんじゃないかと思う。
ずっと持ち家じゃなくてもいい
以前の私は、絶対に持ち家派だった。
でも、マンションを1軒買って10年住み、売って、2軒目を買って10年住んで、また売って引っ越そうとしている。
そう考えると、
「もしかして、私は持ち家に向いていないのかも?」
と思うようになった。
ただ、それが「1か所にずっと暮らすことに向いていない」ということなのか。
それとも、今までの家が「ずっとここで暮らしたい」と思える場所ではなかったからなのか。
それはまだわからない。
1軒目も2軒目も、仕事をするためにそのエリアに住む必要があった。
「ここで暮らしたいから買った家」ではなかった。
だから、50歳からはいったん賃貸でいいと思っている。
いろいろな場所に住んでみて、
「ここでずっと暮らしたい」
と思える場所が見つかったら、そのとき家を建てるかもしれない。
あるいは、ずっと賃貸でもいいのかもしれない。
飽きたら、また引っ越せる。
それもいい。
歳をとれば、また住む場所に制約が出てくる。
車を運転できなくなったり、買い物や病院へのアクセスが必要になったり。
だから、元気に動けるうちは、
不便でも、住んでみたい場所に住んでみたい。
そう思っている。
私が欲しいのは「家」より「時間」なのかもしれない
ここまで考えてみて、ふと気づいた。
私は、ものすごく豪華な家が欲しいわけではない。
海が見える家じゃなくてもいい。
山が見えなくてもいい。
便利な街の真ん中じゃなくてもいい。
むしろ、静かな場所がいい。
家の中にいくつか居心地のいい場所があって、縁側や庭やテラスから外を感じられればいい。
そして、朝起きたらお茶を淹れる。
天気が良ければ洗濯物を干す。
観たい映画があれば、前日までに予約して午前中に観に行く。
少しぶらぶらして帰る。
お昼ご飯を食べる。
明るいうちにお風呂に入る。
あるいは、ベランダでコーヒーを飲みながらゆっくりする。
洗濯物を取り込む。
晩ご飯を作る。
晩酌する。
日記を書く。
そして眠る。
そんな一日を過ごしたい。
そして60歳になったときも、
朝、お茶を飲みながら、
「今日は何しようかな」
と考えていたい。
今日は映画に行こうかな。
本を読もうかな。
散歩しようかな。
山に行こうかな。
何か料理を作ろうかな。
七輪で炭火を起こそうかな。
何もしないで、縁側に座っていようかな。
そんなふうに、楽しめることをたくさん持っていたい。
たぶん、50歳から私が欲しいのは、理想の家そのものではない。
「しなければならないことがない暮らし」
なのだと思う。
やりたいことは、たくさんある。
でも、それを「やらなければならないこと」にはしたくない。
会社を辞めたあとくらいは、
「今日は何をしようかな」
から一日を始めてみたい。
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書いた人:夕凪 47歳。
50歳以降の生き方を考えながら、断捨離や旅、資産づくりの記録を残しています。


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