50歳が近づいてきて、会社では毎年のように、お世話になった人たちが定年を迎えていくようになった。
20年以上、一緒に仕事をしてきた人たち。
毎日のように顔を合わせ、苦労も成功も共有してきた人たちだ。
家族より長い時間を一緒に過ごしてきた人もいる。
それなのに、定年を迎えると、不思議なくらい会わなくなる。
最初は、そのことが少し寂しかった。
「こんなに長い時間を一緒に過ごしたのに、仕事がなくなったら会わなくなるんだ。」
そう思うと、人間関係がなくなってしまうような気がしていた。
長年お世話になった人も、もうすぐ定年
私には、20年近く一緒に仕事をしてきて、とてもお世話になった人がいる。
よく一緒にお酒を飲み、仕事の相談もたくさんしてきた。
業務を円滑に進めるために、良い関係を築こうと努力もしてきた。
でも、その人ももうすぐ定年を迎える。
最近、自分でも不思議なくらい、その関係を維持するために頑張ろうという気持ちが薄れてきた。
「私は冷たいのかな。」
そんなことを考えていた。
でも、よく考えてみると、その人は10歳以上年上の既婚男性。
もし会社で出会っていなかったら、きっと知り合うこともなかっただろう。
仕事がなくなれば、わざわざ二人で会う理由もない。
そう考えると、それは自然なことなのかもしれないと思えた。
人間関係を支えていたもの
今日、一つ気づいたことがある。
人間関係は、長く続いたかどうかではなく、
何を土台にして築かれた関係だったのか。
それが大きいのではないかということだ。
会社という共通の場所があり、同じ目標に向かって働き、苦労を共にした。
だから信頼関係が生まれた。
その土台がなくなれば、関係の形が変わるのは、ごく自然なことなのかもしれない。
もちろん、仕事を超えて友人になる人もいる。
でも、それは途中で関係の土台が変わったからだ。
「同僚」から「友人」へ。
そう変化した関係は、会社を離れても続いていく。
人間関係にもライフサイクルがある
今日、いろいろ考えていて一番しっくりきた言葉がある。
「人間関係にもライフサイクルがある。」
出会う時期があり、
一緒に歩く時期があり、
役割を終える時期がある。
それは決して悪いことではない。
人生のフェーズが変われば、人との距離も変わる。
学校を卒業すると、多くの同級生とは自然に疎遠になる。
でも、学校生活が無意味だったとは思わない。
その時の人生には、その人たちが必要だった。
会社もきっと同じなのだ。
人間関係は「壊れる」のではなく、「卒業する」
最初、私は共通の土台がなくなったことにより
「人間関係が壊れてしまう。」
そんな感覚を持っていた。
でも、今日たどり着いた答えは違った。
これは壊れるのではない。
卒業するのだ。
卒業とは、過去を否定することではない。
「あの時間は必要だった。」
そう思いながら、次の人生へ進むこと。
その言葉が、一番しっくりきた。
同じ大通りを歩いてきた人たち
人生を一本の大通りにたとえると、とても分かりやすい。
会社に入ってから、何十年もの間、同じ道を歩いてきた。
途中で雨に降られたり、坂道があったり、思いがけない工事で遠回りしたり。
苦楽を共にしながら歩いてきた。
でも、定年という分岐点に来ると、それぞれ違う道へ進んでいく。
ある人は右へ。
ある人は左へ。
私はもう少しまっすぐ。
そこで交わす言葉は、きっとシンプルだ。
「じゃあね。」
それは別れではなく、それぞれの人生を歩き始める合図なのだと思う。
寂しさの正体
今日、私の中で一番大きかった気づきは、
寂しさの理由が分かったことだった。
私は、人間関係が壊れることを寂しいと思っているのだと思っていた。
でも違った。
寂しいのは、
人生の一つの章が終わろうとしているから。
卒業式の日が近づくと、教室が少し特別に見えるように。
いつもの廊下や教室が、急に愛おしく感じるように。
今の私は、そんな時期にいるのかもしれない。
寂しさは、今も変わらない。
でも、その理由が分かったことで、不思議と気持ちは少し軽くなった。
人間関係は壊れたわけではない。
その時の人生に必要だった人たちと、一つのフェーズを歩き切っただけなのだ。
そう思えたことが、今日の一番大きな収穫だった。
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書いた人:夕凪 47歳。
50歳以降の生き方を考えながら、断捨離や旅、資産づくりの記録を残しています。



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