大学の頃から付き合いのある友人がいる。
もう二十数年来の友人だ。
大学は地元を離れて九州の某県だったけれど、お互い就職で首都圏へ。
社会人になってからも、年に1〜2回会っては飲みに行く。
同業他社ということもあって、仕事の話をすると毎回盛り上がる。
大学時代のことも、新人の頃の苦労も、転職を考えた時期も、お互いの人生の半分以上を知っている。
久しぶりに会っても、昨日の続きのように話せる。
そんな大切な友人だ。
友人との時間が増えて、少し戸惑った。
最近、その友人と一緒に山登りを始めた。
月に一度、二人で半日ほど一緒に過ごすようになった。
最初はとても楽しかった。
でも、何度か一緒に登るうちに、不思議なことが起きた。
「この人、こういうところあるよな。」
「やっぱり、こういうところは苦手かも。」
今まで気にならなかったことが、少しずつ目につくようになってきた。
「あれ? 長年の友達なのに。」
最初はそんなふうに思った。
登山は、半日旅行みたいなものだった。
でも、よく考えてみると当たり前だったのかもしれない。
登山は、待ち合わせをして、一緒に移動し、何時間も歩き、ご飯を食べ、休憩し、下山して温泉に入り、一杯飲んで帰る。
ほとんど半日旅行だ。
しかも、疲れる。
暑い日もあるし、足も痛くなる。
そうなると、お互いに「素」が出る。
飲み会なら笑って流せることでも、疲れていると少し引っかかる。
相手の癖が見えやすくなるし、自分にも余裕がなくなる。
きっと、相手から見れば私も同じなのだろう。
問題は友人ではなく、「距離」だった。
話を整理していて気づいた。
私は、その友人が嫌いになったわけではない。
これからも長く付き合いたいと思っている。
でも、私にとっては「月に一度、半日サシで過ごす」という人間関係の密度が少し濃かったのだ。
社会人になってから考えてみると、仕事以外で同じ人と半日ずっと一緒に過ごすことなんて、ほとんどなかった。
飲み会は数時間。
ランチも数時間。
それが普通だった。
だから登山は、思っていた以上に濃密な時間だったのだ。
仲がいいほど、距離が近いほうがいいとは限らない。
若い頃は、「仲がいい=いつも一緒」というイメージがあった。
でも今は少し違う。
大人になると、それぞれに築いてきた生活があり、価値観があり、自分のペースがある。
だから、近づけば近づくほど良いとは限らない。
むしろ、心地よい距離を保つことが、長く付き合う秘訣なのかもしれない。
月に一度ではなく、1.5〜2か月に一度くらい。
あるいは、もう一人誘って3人で登る。
そんな付き合い方のほうが、お互い自然体でいられる気がする。
相性とは、ずっと一緒にいられることではない。
今回のことをきっかけに、パートナーのことも考えた。
同じ家で暮らしていても、お互い四六時中一緒にいるわけではない。
食事は一緒にするけれど、それ以外はそれぞれ好きなことをして過ごしている。
同じ空間にいても、お互い自由。
それが私には、とても心地いい。
相性がいいというのは、趣味が同じとか、何でも一緒にすることではないのだと思う。
一緒にいても、お互いが無理をしなくていいこと。
一人の時間も自然に尊重できること。
そんな関係に出会えた私は、とても幸運だったのかもしれない。
人間関係にも、「ちょうどいい距離」がある。
今回の登山で気づいたのは、友人の欠点ではなかった。
私には、心地よい人間関係の濃さがあるということだった。
だから距離を取ることは、関係を終わらせることではない。
長く付き合いたいからこそ、お互いが気持ちよくいられる距離を選ぶ。
そんな大人の付き合い方があってもいい。
そう思えた一日だった。
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書いた人:夕凪 47歳。
50歳以降の生き方を考えながら、断捨離や旅、資産づくりの記録を残しています。



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