忙しすぎると、自分が好きだったものまで忘れてしまう。

暮らし

日曜日、リビングの大きな窓を全部拭いた。

このマンションに住んで7年になるけれど、窓掃除をしたのは数えるほどしかない。

ずっと気にはなっていた。

「そろそろ窓を拭かなきゃな。」

そう思いながら何年も後回しにしていた。

でも今日は違った。

「今日やっちゃおうかな。」

そんな軽い気持ちで体が動いた。

拭き終わって最初に思ったのは、

「明るい。」

ということだった。

そして同時に、

「こんなに気になっていたなら、もっと早くやればよかった。」

とも思った。

もちろん後悔はしていない。

3月までは仕事が忙しすぎた。

あの頃の自分に「窓くらい拭けばよかったのに」とは思わない。

きっと、あの頃の私はそんな余裕すら持てなかったのだから。

ベランダを片付けたら、部屋の景色が変わった

実はここ数か月、少しずつ家が変わってきている。

長い間物置のようになっていたベランダを片付けた。

以前はベランダが目に入るのが嫌で、リビングのカーテンを半分閉めたまま過ごすことも多かった。

リモートワークの机も、大きな窓を隠すような位置に置いていた。

でもベランダを片付けたら、自然とカーテンを開けるようになった。

部屋が明るくなった。

窓の向こうに広がる空が目に入るようになった。

そうしたら今度は、窓の汚れが気になった。

だから窓を拭いた。

たったそれだけのことなのに、部屋の空気まで変わったような気がした。

仕事に使い切っていたのは、時間ではなくエネルギーだった

4月、社内で仕事が変わった。

残業がほとんどなくなり、休日も仕事のことを考えなくてよくなった。

すると不思議なことが起きた。

ベランダを片付けた。

ブログを書き始めた。

登山を再開した。

チョコザップに通い始めた。

パンを焼いた。

そして今日は窓を拭いた。

以前の私は、「家のことができないのは自分が怠けているからなんじゃないか」と思っていた。

休日なのに何もできない。

やりたいことがあるのに体が動かない。

そんな自分を責めたこともある。

でも違った。

足りなかったのは意志ではなく、エネルギーだった。

毎日の仕事で持っているエネルギーをほとんど使い切ってしまえば、家を整えることも、好きなことを始めることもできない。

時間はあっても、動くための力が残っていなかっただけだった。

そう気づいたら、過去の自分を少しだけ許せた気がした。

私は「景色」が好きなのではなく、「窓」が好きだった

窓を拭いたあと、ふと気づいたことがある。

私は窓が好きだった。

正確に言うと、大きな窓から開けた景色が見える、その風景が好きだった。

今住んでいるマンションの窓から見える景色が特別好きというわけではない。

海でも山でも川でもいい。

大きな窓の向こうに景色が広がっていて、その前でコーヒーを飲んだり、本を読んだり、ぼんやりしたり。

そんな時間が好きだったのだ。

思い返せば、このマンションを買った理由もそこにあった。

リビングいっぱいに広がる大きな窓。

明るい部屋。

休日は景色を眺めながら、のんびり本を読みたい。

そんな暮らしに憧れて、この家を選んだ。

なのに仕事に追われる毎日の中で、その気持ちまで忘れてしまっていた。

窓が好きだったことさえ。

人生の舵を握れるのは、自分だけ

窓を拭いただけの日曜日だった。

でも私にとっては、それ以上の一日だった。

自分が何を好きで、どんな暮らしをしたかったのかを思い出した日だったから。

仕事をすることは大切だ。

生活するためにはお金も必要だ。

私自身、資産形成を続けてきたし、仕事を否定したいわけではない。

でも、仕事のために自分の好きなものまで見失ってしまうほど忙しい毎日は、本当に自分が望んでいた人生だったのだろうか。

人生は一度きりだ。

終わりが明日なのか、30年後なのかは誰にもわからない。

だからこそ、「私の人生って何だったんだろう」と思いながら終わりたくはない。

もし今、毎日を仕事だけで終わらせているなら、一度だけ立ち止まって考えてみてほしい。

本当にその生き方は、自分が望んだ人生ですか。

私は今日、窓を拭いただけで、その答えに少し近づけた気がした。

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